インドでホームレスの人達をみて感じたこと
インドではホームレスや物乞いは沢山います。その数は日本の比ではないです。ほんの小さな5、6歳の子供からお年寄りまで。体に障害がある人。地を這う人。多種多様な人が沢山います。おそらくこの先数十年経ってもそれは変わらないのではと思います。
驚いたのが、帰国してから見た大沢たかおさんが演じた「深夜特急」のインド編の映像は、ほぼ全く今も変わらないことでした。
著者の沢木さんも、確か本の中でこの先数十年は変わらないのではないかと書いていた気がします。
実際今もほぼ変わってないと思います。
この先もきっと。。
僕は日本にいるときによく図書館で本を借ります。
その図書館の入り口に、ホームレスであろうおばぁちゃんが大きな荷物を車輪のついたカートに乗せて、いつもそこに佇んでいます。
二重ドアになっているんですが、寒い時はドアとドアの間のスペースで暖をとってたりしています。
外にいるときも、植木と植木の間に、まるで景色の一つのように小さく座っていて、そこを通る人も気付かないのではと思うほどです。
図書館に行くときや、ふとした時にそのおばぁちゃんの事を考えます。
でもどうしたらいいのかわからず、何もできないでいます。
インドのバラナシ では裾や袖を掴まれて、結構強引にお金を要求されました。「バクシーシ」というらしいです。日本語でいう喜捨という意味です。
持っている人が持っていない人にあげるのは当たり前という考えがあるらしく、結構強引に来たりもしました。
もうほんとそこらじゅうに数えきれないほどいるので、一人一人にあげてたらキリがありません。
何度か小さい金額をあげましたが、とてもモヤモヤした気持ちでした。
何かしたい。
お金をあげることはできる。実際あげた。
でも結局それは自分のためだったのかもしれない。
図書館にいるおばぁちゃんも、インドのように強引にきてくれれば僕はきっと悩む事なく渡せると思います。
ですが、そのおばぁちゃんはまるで置物のようにじっとしてるんです。まるで誰にも迷惑にならないようにしてるかのように。
僕はそのおばぁちゃんの事もインドで度々思い出しました。
インドに行けば何か答えが出るのではとも思いました。
でも答えは出ませんでした。今もまだ出ていません。
何も感じないようにはなりたくないです。でもどうしたらいいかわからない。
小学校低学年の頃、近所の商店街で、おそらくホームレスであったろうおじさんに"うまか棒"をあげた記憶があります。
僕はおじさんを助けたかったんです。
ですが、親にその事を話すと怒られました。今思えば、親の立場からすればそりゃ心配ですし、その行為をとてもじゃないけど褒められないと思います。子供を危険な目に合わせたくないと思うのはごく普通な事です。
でも僕はその時おじさんが笑顔を向けてくれたのを覚えてます。
子供の純粋の心だからこそ出来た事だったんではないかと思います。
ですが大人になり、同じ事ができるかといったらできないと思います。
おじさんも、当時僕が小さな子供だからこそ笑顔を向けてくれたんだろうと思いますし。
考え過ぎなのかもしれません。
時には純粋な子供のように行動するのも大切なのかも知れないなと、過去の記憶を振り返り、感じてます。
ただ大人になると行動までに様々な考えが浮かんできてなかなか動けません。
モヤモヤしてるGW最終日です。
ではまた